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 米原万里氏はロシア語同時通訳者であると同時に多分野にわたる評論家としても知られたが、2006年6月に癌のため逝去した。これは著者が生前連載していた動物関係のエッセイと、身辺雑記や時事批評などをまとめた本である。以前取り上げた「どうしてヒトのオスは飼わないの?」には触れられていない、新たに引き取った犬たちとの触れ合いが加わり、著者の動物好きを十二分に知ることができる。

 また、秘書であった方が没後残された犬猫たちの身の振り方を書き添えている。

 飼っている動物を主役に据えたエッセイはその動物の一生を書いて終わるものと、今もまだみんなで仲良く暮らしているで終わるものとがある。後者のタイプを読むと、エッセイが書かれた年から計算して動物たちのその後を気にしてしまう。特に何度も繰り返し読んだ本の中の動物は、あたかも自分が飼っているかのように思えて行く末が気になる。

 著者の病没を知って一番に思ったのは、飼われていた犬猫たちのことだった。

 みな良き飼い主が見つかり、没後一年のうちに引き取られていった。死期を見据えていた著者と周囲の人々は生前より引き取り手を捜していたようで、何頭かは著者が亡くなる前に家を離れている。

 動物はヒトよりも寿命が短いので、こちらが彼らを見送ることの方が圧倒的に多い。けれど時に彼らを置いていかなければならない時もあって、そうなった時に安心して動物を預ける相手がいると良い。

 添えられた一連の「階段猫」写真はせつない。

 猫たちは階段で餌をもらっていた。

 一頭につき一段、きれいに並んで食べていた。

 それぞれが家を離れるたびに、食事時にそろう仲間が減っていく。

 ほほえましいはずの食事風景が、寂しさを増していく。

 鎌倉の米原家からはこうやって誰も彼もいなくなったんだなあと思うと、背後で寝そべる我が家の猫たちを見て心拍があがる。

 

 猫が好き、だけでは読み通せない壮絶な猫小説。

 著者が体験した野良猫保護と里親探しと猫のための引越しの話なのだが、動物美談のノンフィクション、エッセイのたぐいを想像して読んではいけない。

 購入した当初、気に入ったので同僚に貸したら、

「……すごい本だね」

 の一言しかもらえなかった。以後周囲の人にあまり勧めていない。まあでもせっかくなので。

 

 著者は、他人が中途半端に世話をして捨てていった猫数匹を見かねて保護し、里親探しを始めたはいいが猫嫌いのご近所さんに因縁をつけられ、マンションの管理会社に脅され、本業(作家)のごたごたも重なって精神的肉体的金銭的に追い込まれていく。厳しい状況の中で夢と妄想が錯綜し、たぶんそこにはけ口を求めつつも、猫に対しては真剣に向き合う。しかし、猫に真剣であろうとするために普段よりも他人と頻繁に関わらなくてはならず、以前からの対人恐怖症が悪化する。最終的には4匹に里親を見つけ3匹を引き取り、手狭になった都内の賃貸マンションを引き払い(追い出され)、30年ローンで郊外に一軒家を求めることになる。

「もう自分の頭は壊れる」、「胃の中に涙が流れ続けている」などと語られる狂気寸前の叫びと妄想、野良猫と関わろうとするときに降りかかる周囲の無理解と悪意、対する著者の文中では隠さない殺意にめまいがする。笑えないし、くつろげない。

 ではなぜ何度も読み返すほどこの本に愛着をおぼえるか。

 それは行間から立ちのぼる何か得体の知れないモノとは対極にありそうな、保護された猫たちの幸せそうな写真、そのギャップに対して。

 風邪を引いたりやせ細った状態で保護された猫たちが毛並みもつややかに、表情も豊かに遊びまわる姿。添えられたコメントも「アイドル系カノコ、日本美人フミコ」「曲がりしっぽのダンディ」「保護後、雑司が谷の猫団子」「すべての椅子はドーラの領土である」など、写真とコメントの数々を見たらユーモアと優しさに頬が緩む。

 冒頭に「私は決して猫が好きなのではない。」と宣言している。人も好きではないのだろう。猫とも人間とも上手く距離がとれず、あまり器用とは言えない人なのだろう。けれど、関わった猫達にできるだけ誠実であろうとする姿勢が見え隠れして、私の心に響くのだ。

【愛別離苦】 仏教八苦の一つ。愛する人と別れわかれになる苦しみ。

 

 昭和30年、日本は極地観測のため南極大陸に南極第一次越冬隊を派遣する。厳しい自然環境の中で、観測の移動手段として活躍したのが、当時北海道各地から集められ連れてこられたカラフト犬による犬ぞり隊だった。しかし翌年、続く第二次越冬隊を乗せた船が氷海に阻まれ、観測引継ぎを断念しなければならなかったことからカラフト犬達の悲劇が始まる。

 日本の実写映画/動物映画の金字塔、と思っていたら20代前半のスタッフはこの映画を知らなかった。もう20年以上も前の映画だから仕方がないのか。私自身は公開当時小学生でその大ブームを覚えている。といっても映画館には観に行かず、町の公民館で上映されたのを観たのが最初(ローカルな話)。TVでも繰り返し放送され、ビデオテープにも録画して何度も観た。

以前は飢餓や寒さ、怪我などで倒れて死んでゆく犬達を見ているのがつらくて悲しくて、手にしたハンカチでは足りずにあきれ顔の姉にタオルを差し出されたこともあるほど、よく泣いた。今回紹介しようと思って久しぶりに観なおすことにした。

 どうもこの映画に対して思い入れが強すぎるらしい。

 よって、以下ネタバレ感想文。

残念ながら以前のように入れ込むことができなかった。これは仕事柄仕方ないのかな、と思う。本当の動物の死に行く様を知っていることで、映画の中で倒れていく犬達がとても死ぬように見えなかったのだ。だからその嘘に目をつぶることができなくて(突っ込みを入れてしまって)泣けなかった。ちょっと天邪鬼だ。

ただ以前とは違うところで感情移入していたたまれなかった場面がある。犬達を連れて帰れないことが分かったとき、犬ぞりの担当者が「せめて自分の手で犬達を死なせたい」と毒殺を願い出る。氷点下数十度という極地に置き去りにするのは死ねというのと同じだろう。ならば、と追い込まれて覚悟を決めなければならなかった気持ちや状況が、今はわかる。その為にヘリを飛ばすこともできないほど燃料が不足していため、彼の願いは却下され、結果として生き残れた犬がいたのだが。ヒトの命や生活を犠牲にしてまで動物を助けることは出来ない。残酷とは思うし、できれば避けたいが、現実にはそういう状況はいくらでもあるのだ。動物好きには、鑑賞に気合が必要な映画。

つらいだけの話かというとそうではない点もある。置き去りにされた後、首輪から抜け出たりや鎖を切って自由になった犬たちが、氷原を走り抜けていくシーンは本物だった。それはもう気持ちよさそうで、表情も生き生きとしているし、走る姿に躍動感と楽しさがあふれていて、よくこんな顔を撮れたなあ、と思えた。私は喜びでぱあっと明るくなる犬の顔がとても好きなので、このシーンを見るだけでもこの映画を楽しめる。

この映画に登場するカラフト犬は認定された犬種ではない。原産地域をとって名づけられた、いわゆるエスキモー犬である。ただ、このエスキモー犬というのも認定犬種(カナダを除く)ではなくて、アラスカンマラミュート、シベリアンハスキー、サモエド、グリーンランド犬、カナディアンエスキモー犬などの大型スピッツ犬の総称。30kgを越える。

どうでもいい話
・ 実写映画の金字塔と書いたが、1998年「踊る捜査線The Movie」に興行成績1位を譲る。

・ DVDにはメイキングなどを収録した特別編ディスクがついている。舞台は南極だけどほとんどは北極圏(アラスカ)で撮影したとか、犬達をどのように選んで訓練したかとか、登場した犬達のその後とか、興味深い。一番面白かったのは当時の隊員のインタビュー。彼は犬ぞり係ではなかったので、それほどそり犬に思い入れがなかったのだろう。インタビューを見ると映画がフィクションであることがよくわかる。それでもこの映画が好きだが。

・ メイキングを見ないと心配になるかもしれないが、この撮影で犬は死んでいない。私は、昔は本当に死んでしまったと思っていた。

・ そり犬には出身地からとった二つ名を持つ犬がいた。「風連のクマ」「紋別のクマ」「比布のクマ」がそれで、子供心にかっこいいなあ、自分の犬猫にもつけたいなあと思っていた。けれど実際のところ、「寄居のはなこ」とか「船橋のとら次郎」ではかっこいいもなにもないのである。